名刺の歴史
12月20日、名刺良品ブログです。
もうすぐクリスマスですね。
本屋さんの絵本コーナーに行くと、
クリスマスをテーマにした絵本が集められ紹介されています。
私も最近、子どもたちにサンタをモチーフにした絵本を買いました。
私が今シーズン買った絵本は、
『うらがえしサンタ』です。
(著:苅田澄子)
クリスマス当日、寝坊したサンタさんは服を裏返しに着てしまいます。
赤の裏は黒色。
黒い服を着た、『うらがえしサンタ』になってしまいます。
うらがえしサンタは、性格も変わってしまい、
短気で、適当で、口も悪くて、偉そう、、、。
クリスマスにやりたい放題ですが、
なんだか憎めないキャラクターで笑って楽しめ、最後は心温まるお話です。
小1の娘も3歳の息子も、もちろん私も黒い服を着た『うらがえしサンタ』が大好きです。
悪い子のところには恐ろしいブラックサンタが来ると言われていますが、
絵本の影響で、黒い服のサンタに会いたい我が家です。
息子は、保育園でサンタのぬりえを黒色で塗ってきてくれました。
子どもたちはクリスマス当日、『うらがえしサンタ』に会えるのか…
皆さんは、どんなクリスマスを過ごすご予定ですか?
クリスマスモチーフのフードや、
クリスマスマーケット、イルミネーションも楽しみの一つですね。
今回のブログでは、
【クリスマス前のブログ】ということで、
今回のテーマは、、、
『名刺の歴史』です!!
歴史です…
クリスマスムードどこいった…。
ま、まさかブログが、うらがえしに…!?
改めまして、こんにちは。
担当Aです。
今回は『名刺の歴史』について記事にしましたので、
お楽しみいただけましたら幸いです。
10月25日にアップされた記事、『名刺裏面の活用方法』でも話題に取り上げましたが、
名刺の起源には諸説ありますが、中国が発祥ではないかと言われています。
遡ること、二千年以上前の中国。
訪問先の主人が不在の際に、自分が訪問したことを伝える手段として、名前を書いた札が活用されていたようです。
当時は紙が無かったため、竹や木などを材料にした札が使われていました。
この札は『刺(さし)』と呼ばれており、
名前を書いた『刺』を戸口に差し込んだり、玄関先に置いてある箱に入れたりして、
訪問したことを知らせていました。
この名前を書いた札(刺)が、名刺の始まりではないかと言われています。
日本では『名紙』ではなく『名刺』と由来である『刺』の漢字を現代でも使っています。
しかし中国では、蔡倫によって紙が作られ、普及し始めると『刺』から『名帖』と呼び方を変えています。
さらに今では『名片』と呼ばれているようです。
『現代中国語ではふつう〈名片〉という。古くは〈名紙〉〈名帖〉〈名単〉〈片子〉,あるいは単に〈刺〉〈謁(えつ)〉ともいった。』と記載されています。
(引用元:コトバンク)
『謁(えつ)』という言葉が出てきましたが、
これは身分が高い人と面会を希望する際に使用された、名前と身分を書いた札(刺)のことです。
中国は古代から官僚制が整っていましたので、身分が高い人と面会する際には、先ず会いたいことを知らせることが必要でした。
名前の札を活用して、取り次ぎを願い、許可されたら面会できるのです。同じ身分同士の間でも自宅を訪問する際には活用されました。
この『謁』も『刺』と同じく名刺の起源ではないかと言われています。
これらのことを裏付ける資料として、1984年に三国時代の武将『朱然(しゅぜん)』の墓から木製の札が何本も発見されています。
三国時代というと、1700〜1800年も昔の時代です。
墓が発見されたのは、安徽省(あんきしょう)という、中国の地図でいうと海側の東部にある場所(省)です。
そこの馬鞍山(まあんざん)という工業が発達している町で発見されました。
工事中に発見された墓は、すでに盗難に遭っていましたが、140点ほどの埋葬品が残っていました。
埋葬品の中に朱然のものと思われる名刺が残っており、木製の札には『朱然 字 義封』と墨で書かれていました。
『朱然 字 義封』の
『字(あざな)』とは別名のことです。
『呉の武将朱然、通称は義封(ぎぼう)』といった訳になるのでしょうか。
ちなみに古代中国では、男は20歳、女は15歳で、身分の高い者が別名(字)を持つことができたそうです。
木製の札(幅の狭いものは木刺、木簡、幅の広いものは木謁という)には名前以外の内容も書かれていました。
札に書いてある出生地や官職、挨拶文などから、この墓は朱然のもので間違いないという証拠になったといいます。
この墓から発見された木製の札(名刺)は重要な資料となり、
現存する世界最古の名刺になっています。
偉人の墓で、ここまで綺麗な形で残っている墓は少なく、
朱然本人の遺体発見も期待されましたが、残念ながら遺体の発見はできなかったようです。
先に記述した通り、盗難に遭った際に、
金目のものを狙った盗人が遺体ごと持ち去ったのではないかと言われています。
罰当たりすぎて恐ろしいです⋯。
名刺の存在が文献で登場するのは唐の時代からになります。
札(刺)が利用されていた漢時代や三国時代からずいぶん時が流れています。
紙の普及が隋唐時代くらいになりますので、紙事情を考えると妥当な流れかもしれませんね。
唐の文献に登場してから数百年後、
16世紀ヨーロッパでは、ドイツで名刺が活用されるようになります。
中国と同じように、初めは不在時に使用するカードとして使われました。
その後18世紀頃にヨーロッパ全土に普及し、特に社交界の場では必須アイテムになっていきます。
初めはトランプの裏に名前を書いて交換していたようですが、
徐々に、綺麗に装飾された専用のカードなどが作られます。
社交界で交換されるカード(名刺)なので、その場に合った名刺交換のマナーもできました。
女性は何枚までカードを持てる、など細かいルールができたようです。
19世紀になると、写真入りのものが登場します。
ヨーロッパでは日本とは違い、メッセージカードのような役目を果たしていたため、
現代でもビジネスで使用することより、社交界や職場のパーティーなどで使用することの方が多いです。
国にもよりますが、名刺の用途・目的は日本とは少し異なっているようです。
フランスは、管理職以上の人が持つようで、付き合いが長くなる相手に名刺を渡すのが一般的だそうです。
名刺はヨーロッパ全土に広がると、次は海を超えてアメリカへと伝わっていきます。
日本は鎖国していた影響もあり、名刺が登場するのは19世紀の江戸時代からとなります。
紙は中国から伝わり、飛鳥時代から製造していました。
日本書紀にも、610年頃に高句麗の僧が紙を作ったとの表記が残っています。
このときに、墨や筆も一緒に伝わってきたと言われています。
仏教が伝来すると、紙の需要は高まります。
たくさんのお教の本が作られ寺に納められました。
需要と共に、品質改良にも力が入り、日本独自の紙作りも行われます。
原料に楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)などが使用され、和紙が誕生します。
印刷技術も遣唐使によって伝わりました。
奈良時代には「百万塔陀羅尼経(ひゃくまんとうだらに)」が作られ、現存する世界最古の印刷物となっています。
中には陀羅尼経という経文が収められており、木版により100万枚印刷されたと言われています。
木版によって作られたと伝えられていますが、木版では100万枚も刷れないのではないかと考えられ、
金属版や銅版を使ったのではないかとの説もあります。
残念ながらこれ以上印刷の技術は発展しませんでした。
紙も高級品でしたし、文字を読めるのは身分の高い人たちだけです。
書物は高貴な人のものだったので、大量に生産する必要がなかったのです。
手書きの写本で事足りるので、印刷技術は向上しませんでした。
平安時代には『源氏物語』など物語を描いた巻物が流行します。
印刷技術は発展しませんでしたが、和紙は違います!
さらに良い紙質を求め、和紙を作る技術が発展していきます。
『紙屋院(かんやいん)』という紙の工場が国家によって京都に建てられ、
紙の需要は増していきます。
縦や横に揺すりながら紙を漉く『流し漉き』の技術も日本人によって誕生します。
さらに使用済みの和紙を溶かし、また新しい和紙にする技術もできています。
このときから再生紙の考えがあったのは驚きですね。
江戸になると、傘や障子など小物にも和紙が使われるようになり、
庶民にも紙が広がります。
紙の製造が増え、紙の値段が安くなったことと、
寺子屋で読み書きを学べるようになったことで庶民の間にも書物が普及し、読書の習慣もできていきました。
多くの人が読み書きできるようになったことで、印刷への関心も高まったと考えられます。
日本では江戸から名刺の存在が現れます。
和紙に墨で名前を書き、不在の訪問先へ訪問したことを知らせる手段として使用されたのが日本での名刺の起源と言えます。
はじまりは中国、ドイツと同じです。
和紙が誕生していたため、和紙に墨で書いていたところが他の国々との違いでしょうか。
徳川幕府の右筆(文を書く役目の人のこと)だった屋代弘賢(やしろひろたか)が残した資料で、
『名紙譜』というものが残っています。
ここには和紙に氏名を書いた当時の名刺が集められ、帳面に貼り付けてありました。
この資料により、少なくても江戸後期(化政期)には名前(氏名)だけを手書きした和紙の名刺が使用されていたのではないかと言われています。
『名紙譜』は、日本最古の名刺となっています。
ここでは『名紙』と表現されていたのに現代では『名刺』に変わっているのが不思議ですね。
幕末開国では西洋の印刷技術も伝わり、墨ではなく『印刷』された名札を江戸の役人が使っていたようです。
このときは、『名札』と呼ばれていたようです。
ちなみに、日本に二度目にやってきた黒船のアメリカの使者と幕府の代表役人が交換した名札が、
現存する日本国内で受けとった最古の名刺になっています。
江戸の役人は主に外国人と交流するために名札を使用していました。
日本人同士で名刺を交換するようになるのは明治時代に入ってからになります。
江戸の役人が使用していた名札には、
名前だけでなく家紋を入れたデザインになっています。
家紋が身分や役職(肩書き、所属)を表していたと考えられ、現代の名刺ととても近いものになっています。
外国の使者との談判には、お互いに名札を交換後に行われたと言われています。
黒船来航後の1860年には、アメリカでの条約の手続きのため、
幕府の役人が咸臨丸(かいりんまる)に乗って渡米します。
乗船していたのは、木村摂津守(木村芥舟)、福沢諭吉、勝海舟、中浜万次郎(ジョン万次郎)など
現代でも名前を残す偉人ばかりです。
咸臨丸の話は、私すごく好きなんです。
福沢諭吉と勝海舟の不仲だった話もとても面白いですし、中浜万次郎の波乱万丈な生い立ちも興味深いです。
もっと深く書きたいところですが、、、
泣く泣く話を戻して進めます。
軍艦奉行だった木村摂津守は、サンフランシスコで英文が印刷された名刺をアメリカから贈られます。
英文の名刺には、
Admiral KIM-MOO-RAH SET-TO-NO-KAMI, Japanese Steam Corvette CANDINMARRUH.
と書かれていました。
Admiral →提督(海軍大将)
KIM-MOO-RAH SET-TO-NO-KAMI →木村摂津守
Japanese Steam Corvette →日本の蒸気輸送船くらいの意味を持つ文
CANDINMARRUH →咸臨丸
単語は、このような意味合いになります。
日本人が持参した和紙の名札は、アメリカでは珍しかったようで、
『航米日録(こうべいにちろく)』という渡米した役人の日記には、
名札(名刺)が欲しいと言われた、名前を書いたら人が集まってきて、数百枚も書いた、
と記録が残っています。
横に綴るローマ字と異なり、縦に文字を書く日本語はとても珍しかったのかもしれません。
また記録が残っている人物で、
1863年、フランスに渡った池田長発(いけだながおき)も印刷された名刺をフランスで使用しています。
こちらは、現地の印刷屋で作ったようで、縦向きの用紙に氏名(池田筑後守)と、家紋である揚羽蝶(あげはちょう)の紋が入れられ、
その左横には大文字と小文字の英字が入れられました。
日本語と英字を併記した名刺は、現代と同じで外国人を意識したデザインとなっています。
海外の文化が入ってきた明治時代以降では、
名刺は社交界で使われるようになります。
特に西洋文化も吸収した華やかな鹿鳴館(ろくめいかん)時代では、名刺は必須アイテムとなります。
名刺のサイズも一回り大きくなり、地位が高い人ほど大きいサイズの物を使ったようです。
名刺をいれる名刺入れにもこだわるようになり、高価な本皮や織物など手が込んだものが使われました。
現代になると、デザインへのこだわり、
フォントへのこだわり、
用紙へのこだわり、
サイズのこだわり、
自己紹介へのこだわりなど
個人、個人でオリジナル(個性的)な名刺を求め、個人情報だけでなく人柄や印象も表すようなカードになっています。
初対面の相手でも気軽に名刺交換できるので、コミュニケーションにつながり、
ビジネスの場では必須アイテムとなりました。
名刺を大事に残す日本人の性格も加わり、今後の営業にもつながる大切な営業ツールのような存在です。
木版からはじまった印刷は、
現代では、オンデマンド印刷やオフセット印刷など様々な印刷技術と、その印刷を支える印刷機器があります。
名刺良品では、高品質なオンデマンド印刷で、短納と低価格を同時に実現しました。
種類の多い用紙も弊社の魅力の一つです。
現代のネット印刷でしたら、弊社に是非おまかせください。
ご注文いただけますのを楽しみにお待ちしております。
名刺良品ブログではこれからも名刺や印刷に関する楽しいトピックスをご提供できるように頑張って参ります。
これからも応援いただけますと幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。
Thank you for your continued support.
【参考資料】
Xinhua News/AFPBB News https://www.afpbb.com/articles/-/3297650
Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/ec5da2638ac1a55338b0131caf1de5bc80adb7ab
ライブドアニュース https://news.livedoor.com/article/detail/23024001/
【参考文献】
日本史を支えてきた和紙の話 朽見 行雄(著)